GNHにモノ申す

ブータン国民97%が幸福

国勢調査で97%の国民が幸福であると答えた、というのは有名な話。

この数値は「幸福の国ブータン」を語るとき、よく引用される。

現地にすむ日本人の話では、実際の調査のときに、1. very happy 2. happy 3. not happy のどれかを聞かれたそうだ。

私は、ずっと疑問に思っていた。

happy ということ、これはブータンの村の人たちには当然ブータン語で質問されているはず。何て言っているのだろう。

国勢調査を担当した留学生に聞いてみた。

だいたいこんなかんじね、と再現してくれた。

「ナメサメ ガトト ユガ、  ハラムチ ガトト ユガ、  セム ミガエ ガ」 

ナメサメ = すご~く 

ハラムチ = まあまあ、だいたい。どちらかといえば肯定的。

ガトト ユ +ガ(疑問) ・・これが、ハッピーですか、に該当するのだろうけれど、この言葉の感じは、気持ちよく暮らしているっていうニュアンスじゃないかな。割と決まり文句で、達者でやってるかい、みたいなときにも言うし。

セム ミガエ は、 気持ちが晴れないとき、嫌な感じのとき。納得できないようなとき、の感じ。

「幸せ」とか「幸福」とかいう言葉は、観念的、頭で考えた言葉だけれど、ブータン語での質問は、もっと日常的で、感覚的で、身体的な言葉だ。

ちなみに、そういう質問に対しての答えを日本語にするとこんなかんじ。

「よくはないですよ。身内が先月亡くなりましたからね。人が亡くなるってことは本当に辛いことですね。」

「もし、そういうことがなかったら、どうですか」

「それがなければ、気持ちよく暮らしてますよ。」

(短期的理由により幸福ではないという答えは排除されるため、この場合、ハッピーにカウントされる。)

日本の雑誌で、「97%が幸福というブータン国民」 と引用されるとき、別の意図が加わってしまうのだけれど、実際のやりとりを聞いてみると、とってものどかで、確かに多くのブータンの人は(ブータン的なニュアンスで)幸せって思っているのかも知れないな、と思った。

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ブータンに帰る日を数える

私はGNH論者ではないけれど、やっぱりブータンっていうのは暮らしやすいというか、頭じゃなくって、カラダとか、ココロとかが、ここにいたいって思わせるところなんだろうか。

などと、今日は少々しんみり感じてしまった。

日本にきている留学生たちの何人かは、来年の2月にそろって帰国する。

早いものだ。

嬉しくてたまらない、という顔。

みんな指折り数えているそうだ。カレンダーに、その日が終わると、バツかマルか聞かなかったけど、終わったマークを入れ込んで喜んでる人もいるそうだ。

なんだか、淋しくなってしまった。

そんな私の気持ちを察して、優しい彼らは、

「日本だけじゃなくって、どこでもそうなんだ。一ヶ月以上ブータンを離れると、帰りたくってしょうがないんだ」

と、フォローしてくれる。

「そんなこと言ったって、ブータン人は、どこのオフィスに就職すれば国費で外国に留学できるとか、外国に行くことばっかり夢みてるじゃないの」

と言うと、

「う、、、うん、そうなんだけど。でも、やっぱり一ヶ月までだなぁ」

なんだそうだ。

ブータン人は、外国に行けることをすごくうらやましがる。

けっこう嫉妬深いから、外国人と結婚したブータン人なんて、

露骨にうらやましがられてうんざりしていた。

そのくせ、外国にいったら、当日からホームシックになるのだ。

分っているのに、どっちも本当の気持ちだから、正直なものだ。

考えてみたら、私がブータンにいたころ、1日たりと日本に帰りたいと思ったことはなかった。

協力隊で派遣されている人たちも、それなりに悩みはあるのだろうけれど、ブータンにいることを楽しんでいる人が多いんじゃないだろうか。

他の国に行ったらどうだったろう。

なんで楽しかったのかな。

今、もし行ったとしたら、どうだろう。

あの頃のような無邪気さでは溶け込めないだろうけど、

自分の家族や仕事がしっかりとあったら

また羽を伸ばして夢を描けるかも知れない。

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山の上の水道

、「GNH、ちょっと違うんじゃない」というのを思い切って書いてしまったら、そんな自分の気持ちがちっぽけなものに見えてきました。

今度は、「GNHはおかしい」という(これも極めて表面的で意味の無い)論議に入ってしまったら、それもマズイです。

「公平に」「冷静に」見なくては・・・。

ブータンの、とくに田舎や山奥に入っていくと、純粋にGNHを感じることがあります。

たとえば、「水道」。

ジョモラリベースキャンプの近くに、数件の家があるのですが、ここにもちゃんと水道があります。

水道といっても、どこかの水源から水を引いてきて、蛇口からずっと流れ放しです。

そういう水道が、家のすぐ前か、2~3軒の家で共同使用しているので、それほど遠いところではなく、ちゃんとあるのです。

よく、丘の高いところに家がありますが、私が経験した限りでは、家の近くに水源があるようです。

ハの農家に滞在したときには、自動車道路から1時間近く上った丘の上でした。

家のすぐ近くに水道があって、家の中の大きな甕に水を溜めておきます。

日本人のようにたくさん水を使わないので(ブータンのホテルに泊まるとき、いつも胸の痛む思いをします)、この甕の水で十分です。

私がなんとなく経験している、この「水」政策を、ちゃんと記録で調べて、現場で仕事をした人や、ブータンの長老さんたちにもお話を聞いて、ブータン政府のこまやかな政策、GNHの実例として、発信しなくては、と思いました。

部外者の概念的な理想論ではなく、今の私のなんとなくの知識ではなく、公平でこまやかなGNHの具体例を(マスコミにはできない部分でしょうから)、ヤクランドとして目指したいと思うこのごろです。

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万博のお釈迦さま

ブータンの人は場の空気を読むのが上手。

大家族で育ったから、皮膚感覚が発達しているのだろう。

初対面での相手には、堂々としていて、思いやりがあって、いつも好印象を与えてくれる。

それに、柔軟性もある。

さすが!と感心したのは、愛知万博のブータンパビリオン。

ご本尊は、釈迦如来。

ブータンの代表選手は、やっぱり「グル・パドマサンバヴァ」でしょう。

でも、こういう場所には、「分りやすい」ことが一番大事。

お釈迦さまなら、「日本人と同じ仏教徒」と、親しみを持ってもらいやすい。

自分を主張しても意味のないところでは、しない。

もっとすごい、と思ったのは、

次から次へと押し寄せる人が、

帽子をかぶったままお釈迦様を眺めていても、

気にしないことだった。

ブータンだったらありえない。

まるで、畳の部屋に靴のままあがられたような違和感を、

私でさえも感じてしまうのに。

それでも、早朝、お客さんが来る前に、こっそりお供えをして、

自分たちだけではお祈りしているところが、

やっぱりブータン人だった。

GNHという「分りやすいもの」が多くの人の共感を得ているときに、

ブータンの人たちは、本当は何を思っているのだろうと、

気になるのは私だけでしょうか?

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日本人は幸せ

ブータン人はどんな風に感じるのだろう、と思う。

観光客が、

「ブータンはいい国ですね」

とか、

「ブータンの人は幸せですね」

と、目を輝かせて話しているときに。

親友のカルマ(仮名)がブータンからやってきた。

一緒にフリーマーケットに行った。

新品もでているし、安いし、家族みんなのお土産を夢中で買い込んでいた。

綺麗なタオルセットはお坊さんに。

小さな甥や姪たちには、おもちゃ、ぬいぐるみ、かわいいビーズのバッグなど。

ため息まじりに、カルマは言った。

「日本人は幸せです。おもちゃがたくさんあるのだから。ブータンは貧しい。」

何度も日本に来て、日本のことはよく知っている彼女だけれど、

やっぱり日本の生活のことは何も知らない。

短い滞在では、自分でお金を払うこともあまりない。

毎日歓迎されて、有り余るモノを見て、そんな彼女の目には、

「日本はいい国。日本人は幸せ。」

と映るのもムリはない。

長い付き合いでなかったら、親友でなかったら、

私だって笑いながら

「そうでもないのよ~、大変なんだから」

なんて言って、聞き流したかもしれなかった。

でも、そうするのも悲しくて、

テレビで報じられるニュースを丁寧に訳して説明したり、

リストラで自殺するお父さんや、鍵っ子の話をしたりした。

ちょっと意地悪だったかな。

カルマは目を丸くして

「ブータンは家族はいつも一緒」

と言った。

損な役だったけど、前より仲良くなれた気がした。

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王様の耳はロバの耳、のきもち

精神的豊かさを雄弁に語るブータン人と、真剣に目を輝かせながら聞き入る日本人という、とあるシンポジウムで、共感できずに心淋しい気持ちがしていた。

そして、そんな思いを抱いている私は間違っている、と自分で決め付けていた。

なぜなら、王様のGNH思想はとても素晴らしいと思うのだけれど、他の場面でGNHが語られるのは、どこか現実にそぐわない、理想だけが一人歩きしている、そんな気がしていたからだ。

その「言ってはいけない自分の思い」に苦しんでいたある日、ブータンの大先輩と話をしている中で、ふと彼女が私が考えていることを同じことを言った。

「そ~ですよね!!」・・・救いだった。

また別のある日、ブータン研究の一人者の著書を読んでいて、やはり、GNHが一人歩きしている危惧を書いていた。

また別のある日、ブータンで働いている人が、同じことを言った。彼は私と同じように、「大きな声では言えない」と一人悩んでいたようだった。

そして最近は、「またGNHかぁ、って思っちゃいますよねぇ」などと、ブータン滞在者OBの集まりで、何のためらいもなく言えてしまえるようになった。

よかった、ノイローゼになる前に解放されて。

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